みなさんこんにちは、英語ライフコーチ&トラストコーチングスクール(TCS)認定コーチの小森 朋代です。
コミュニケーションのプロとして英語xコーチング、二足のわらじをはいて活動しています。
2年前、帰国するまでオーストラリアで会社員をしていた私が、そもそもどうしてトラストコーチングスクール(TCS)の講座を受けることになったのか&その時の体験ルポをお届けします。
病気になった自分を責めて苦しかった
トラストコーチングスクール(TCS)認定コーチ&英語学習コーチとして活動を始めるまで、わたし、もがいていました。
今も試行錯誤をしながら前に進んでますが、「もがいてる=苦しい」わけじゃないです。
18歳から生活していた第二の故郷シドニー。
2年前日本に帰国するまで、ずーっと、オーストラリアの現地法人で働いていて、スーツを着込んでお客様のところに商談に行ったりするような仕事をしていたんですね。
「英語は私の母国語じゃないから完璧じゃないけどさ、まぁ、仕事を任せてみてよ、しっかりやり遂げてみせますさ!」とずっと誇りを持って働いてきました。
でも、病気がきっかけで思うように働けなくなって、苦しかったんです。
34歳、若年性乳がんでした。
幸いなことに初期の段階で見つかったので、手術・抗がん剤・放射線治療をしっかり受けて、今は大絶賛ホルモン治療中ですが毎日元気に活動しています。
「Tomoyo, it’s not good news…It’s cancer.(ともよ、よくないお知らせよ、キャンサーだわ)」とドクターに言われた瞬間、雷に打たれたかのような衝撃が走りました。
「え!?どうして私が?」
「まさか・・・」
「嘘でしょ」
自分には関係ないと思ってたことが現実に起こると衝撃的なんですよー。
病気前の「普通(ノーマル)」に戻りたくて、あせりまくってネジが吹っ飛んだ
病気って誰のせいでもなく「運」だと思うんです。
誰もなりたくてなる人なんていない。
不摂生をしたからって病気になるわけじゃないし、
健康的な生活を送っているからって病気にならないわけじゃない。
治療はすべて生活の基盤があったオーストラリアのシドニーで行いました。
上司と相談して6ヶ月間休職して治療に専念、そのあとはすぐに復帰。
手術・抗がん剤・放射線治療は思っていたより体に負担がかかっていまし、認めたくなかったけれど。
週に5日Yoga教室に通い、休みの日にはジョギングに行ったりと体力に自信があるはずだったのに、家からたった10分離れた駅に歩いていくのに息切れするんですよ。
でも、早く「前の自分」に戻りたくて、その第一歩が私にとっては職場復帰でした。
ヒヨヒヨの髪の毛が生えてきたくらいで、スカーフをおしゃれ巻に、薬の副作用のホットフラッシュで汗だくになりながら、センスでパタパタあおぎながら仕事してました。
あせりましたね〜、それはもう。
体力だけでなく、思考にもやがかかったようになってしまって。
「こんなはずじゃないのに」の毎日でした。
それでも騙し騙し、「わたしは大丈夫、頑張ってやってたら病気する前の自分に戻れる!」とガシガシ働いていました。
その結果、3ヶ月後、ついにネジが吹っ飛びます。
・電話対応ができない
・メールの返信ができない
・スケジュール管理ができない
心も身体もボロッボロでした。
「あ、これは、マズイぞ」
さすがのわたしも気がついて、上司に即相談。
退職することを決意します。
そして私は「旅」に出た
わたしは、何がしたいんだろう?何が本当に欲しいんだろう?
これまでそこそこ、やりたいと思うことはやってきたし、楽しく生きてきた。
「自由人だよね〜」とはよく友人から聞く言葉で、勝手に「褒め言葉♪」と受け取ってきました。
そんな私ですが、乳がんになって盛大にズッコケて、今回ばかりはうまいこと「あらよっ!」と起きられなかったんですよねー。
弱味噌〜!(鬼滅の刃風w)
今までとは食らったダメージの種類が違ったようなのです。
一番、自己評価を下げていたのは他でもない自分自身でした。
「病気になっちゃって、仕事も続けられずに辞めちゃったわたしはダメな人間なのかもしれない」
あー、もう、これはひたすら苦しいパターンでした。
こんな時こそ、わたしは旅に出る。
・・・ムーミン谷のスナフキン、永遠のアイドル。
2019年6月、住み慣れた第二の故郷、シドニーより日本へ帰国。
そして、ゆっくり静養・・・ではなく、バックパックを背負って旅に出ます。
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→「コーチングを学んでみよう」キッカケの話②わたしの「新しい普通(ニューノーマル)」を探す旅 〜It’s just about finding a new normal〜